- はじめに:心に残るモヤモヤ – 家族を想う二人がなぜ戦ってしまったのか?
- 家族の悲しみと、記憶でできた世界:キャンバスとアリーンの苦しみ
- ルノワールの決意:「彼女を救うため、聖域を壊す」
- ヴェルソ(描かれた存在)の旅路:慈しまれた記憶から、解放の使者へ
- 不協和音の核心:二つの「家族」観と「救い」観
- クライマックスの解体:対話、選択、そしてエンディングが示すもの
- 結びつき、そして引き裂くテーマ:破壊、創造、そして守ることの意味
- (英語圏)海外コミュニティからの反響:家族の断絶に対するプレイヤーの声
- 結論:心の傷跡に意味を見出す – 『Expedition 33』へのより深い理解に向けて
- 簡潔に簡単に言うと、なんで仲が悪いの!?
- おわりに:普遍的な心理ドラマとしての『エクスペディション33』
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はじめに:心に残るモヤモヤ – 家族を想う二人がなぜ戦ってしまったのか?
『クレア・オブスキュア:エクスペディション33』をクリアした時、きっとあなたの心には達成感と一緒に、何とも言えない「モヤモヤ」が残ったはずです。
特に多くのプレイヤーが首をかしげるのが、「ヴェルソとルノワール、どちらも家族想いなのに、なぜ最後は激しくぶつかってしまったの?」という疑問じゃないでしょうか。
二人とも家族の幸せを願っていたはずなのに、どうして道が分かれてしまったんでしょう。
今回は、この「ヴェルソ vs ルノワール」の本当の理由に迫りながら、「Expedition 33と家族」というテーマを深く掘り下げていきます。 二人の心の奥底と、物語の仕組みも一緒に見ていきましょう。
この記事で分かること:
- ヴェルソとルノワールがぶつかった心理的な理由
- 「壊すこと」と「救うこと」、「創ること」と「現実」という深いテーマ
- 「守る」ってそもそも何だろう?という問いかけの意味
多くのプレイヤーが感じている、このやるせない気持ちの正体を探って、作品をもっと深く理解できるようになれば嬉しいです。
ヴェルソとルノワール、二人の愛憎渦巻く関係を、一緒に紐解いていきましょう。
よければ、Expedition33のサウンドトラックを聴きながら読んでみてください
『Yellow Forest-Numbers the Hours』がオススメです。
※私は英語版でプレイしていたので、日本語訳がちょっと違うかもしれません。
特に名前が怪しいです(Luneがルーンかルネか、Alineはアリーンかアラインかアリーヌか…)。
間違いを見つけたら直していきます。
家族の悲しみと、記憶でできた世界:キャンバスとアリーンの苦しみ
物語の核心に入る前に、まずデサンドル家を襲った悲劇と、それによって生まれた不思議な世界「キャンバス」について理解を深めましょう。
この世界がどうやってできたのかを知ることが、ヴェルソとルノワールの行動を理解する鍵になります。
悲劇の始まり:本物のヴェルソの死
すべての始まりは、デサンドル家の長男だった「本物の」ヴェルソが火事で亡くなったことでした。 この悲劇は家族の心に深い傷を残し、特に母アリーンにとっては耐えられないほどの喪失でした。
ゲームの舞台になるルミエールとその周りの世界は、実は生前のヴェルソが残した「キャンバス」だったんです。 そこには彼の魂のかけらが宿っていました。
このキャンバスは単なる空想の世界じゃなくて、アリーンにとって、そして後にヴェルソ(描かれた存在)とルノワールにとって、とても個人的で神聖な遺品のような意味を持つようになります。
アリーンの心の逃げ場:キャンバスの世界へ
深い悲しみに打ちのめされたアリーンは、ヴェルソが残したキャンバスの世界へと心を逃がします。
彼女はペインターとしての能力を使って、記憶の中の息子や理想の家族、そして街の人々をキャンバスの中に「創り出し」、その世界を維持することで、喪失感を埋めようとしました。
アリーンにとってキャンバスは二つの顔を持っていました:
✅ 聖域:亡くなった息子ともう一度過ごせる唯一の場所
❌ 牢獄:現実から彼女を遠ざけて、残された家族との間に溝を作る場所
描かれたヴェルソの誕生
私たちがゲームで一緒に行動するヴェルソは、アリーンが彼女の記憶を元にキャンバスの中に描いた存在です。
彼は最初、母の悲しみを癒すために、彼女のそばにいました。
でも、この「描かれたヴェルソ」は、ただの記憶のコピーじゃなくて、独自の意識と経験を持つようになり、やがてキャンバスと家族の苦しみに対して、アリーンとは違う独自の見方を持つようになります。
キャンバスの重い真実
さらに、キャンバスには本物のヴェルソの「魂のかけら」が残っていて、その魂がキャンバスの世界を維持するために永遠に働かされているという事実は、物語の倫理的なジレンマをもっと深刻にしています。
これは単に母親の悲しみという問題だけじゃなく、亡くなった息子の魂の永遠の運命も左右する、とても重い問いかけをしているんです。
ルノワールの決意:「彼女を救うため、聖域を壊す」
アリーンの夫であり、父親であるルノワールの視点は、この悲劇を別の角度から照らします。
現実世界でのアリーンの衰弱
ルノワールはアリーンがキャンバスの世界に入り込んでいく様子を現実世界で目の当たりにし、それが彼女の心と体、そして家族全体に壊滅的な影響を与えていることを痛感していました。
彼の「たとえクレア(娘)がキャンバスをどこに隠そうとも、母(アリーン)は必ずそれを見つけ出し、再びキャンバスの世界に身を投じるだろう」という言葉は、キャンバスそのものが問題の根っこだという彼の確信を強く示しています。
「救い」としての破壊
ルノワールにとって、アリーンを「守る」こと、彼女を「救う」ことは、彼女をキャンバスから無理やり引き離して、現実世界へと連れ戻すことでした。 たとえそれが、彼女が大切にしている世界を壊すことになっても。
彼が行う「ゴマージュ」(キャンバスの住人を消す行為)みたいなことは、彼にとってはアリーンのキャンバスへの執着を弱めて、最終的に彼女を「救う」ための必要悪だったんです。
ルノワールの愛情と恐れ
ルノワールの戦いは、アリーンの現実逃避だけに向けられたものじゃありません。
キャンバスが本物のヴェルソの遺品だという事実、その記憶を保存するという側面に対して、ルノワールはそれが苦痛を長引かせると考えていたようです。
マエル(アリシア)が彼にキャンバスを残してほしいと頼んだ時も、ルノワールは断固として拒否します。
彼は、アリーンだけじゃなくアリシアまでも「キャンバスを使いすぎて衰弱して、死んでしまう」ことを恐れていたんです。
彼の動機は、厳しい現実主義に基づいています。
本当の癒やしは、描かれた幻想の中に逃げることじゃなくて、現実世界で、現実の悲しみと向き合うことによってのみ得られるという信念です。
ヴェルソ(描かれた存在)の旅路:慈しまれた記憶から、解放の使者へ
アリーンによって創られたヴェルソ(描かれた存在)は、物語を通じて複雑な心の変化を遂げます。
彼の旅は、母の悲しみを慰めるための存在から、家族全体の苦しみを終わらせるための解放者へと変わっていく過程として描かれます。
存在の目的と始まりの記憶
彼の存在は、元々アリーンが息子の死で空っぽになった心を埋めるために創り出したものでした。
最初、彼の存在意義はアリーンが求めるものと、彼女が思い描くキャンバスの世界を維持することに結びついていました。
彼はアリーンの「聖域」の一部であり、彼女が大切にする記憶の生きた具現化だったんです。
キャンバスの矛盾と苦痛への気づき
でも、描かれたヴェルソはキャンバスの中で独自の経験を積み重ねるうちに、その世界の矛盾と苦痛に気づき始めます。
ゴマージュのサイクル、住人たちの苦しみ、そして何よりも、幻想を維持するために命を削っていく母アリーンの衰弱していく姿を目の当たりにするんです。
彼は自分の出自(描かれた存在であること)と、キャンバス内に囚われて労働を強いられている「本物の」ヴェルソの魂のかけらの存在を知ります。
解放としての破壊への決意
描かれたヴェルソは最終的に、キャンバスそのものを破壊するという決断をします。 これは悪意からじゃなくて、その存続がアリーン、アリシア、囚われた本物のヴェルソの魂、そして彼自身を含む、関わる全ての人々にとって苦しみを永続させるという深い理解から来るものでした。
彼の破壊への願いは、慈悲と解放の行為であり、「真の平和」と、彼らを縛る人工的な存在からの解放を目指すものでした。 彼は自分の「不死の存在」に終止符を打ちたかったんです。
不協和音の核心:二つの「家族」観と「救い」観
ヴェルソとルノワール、二人の間にある悲痛な皮肉は、彼らが共に家族を「守り」「救いたい」と願っていたのに、その手段と目的地の認識が根本的に違っていた点にあります。
ルノワールの救い観:現実への帰還
ルノワールにとって、キャンバスはアリーンを蝕む外部からの「依存症」みたいなものでした。
彼が考える「救い」は、アリーンを幻想から力ずくで引き離して、どれほど過酷でも具体的な現実へと帰還させることでした。
彼の焦点は、生きている家族のメンバーと、彼らが現実世界で癒やされる能力にありました。
ヴェルソの救い観:魂の解放
一方、描かれたヴェルソにとって、キャンバスは内部から自己永続する苦しみのサイクルであり、同時に故人の一部を繋ぎ止めているものでした。
彼が考える「救い」は、この人工的な存在を完全に止めて、彼自身と本物のヴェルソの魂を含む、それに関連する全ての魂を解放することでした。
トラウマと喪失への哲学的アプローチの衝突
この対立は、本質的にはトラウマと喪失に対処する上での異なる哲学の衝突と言えます。
ルノワール:実用的で、時には冷酷とも言える現実主義
ヴェルソ:さらなる痛みを防ぐための「きれいな断絶」を求める解放主義
ルノワールにとって「手放す」はアリーンがキャンバスを放棄することを意味し、ヴェルソにとって「手放す」は、本物のヴェルソの記憶と魂のかけらを含め、家族全員がキャンバスの束縛から解放されること、たとえそれが描かれた世界とその住人にとって忘却を意味しても、それこそが真の解放だと考えていたんです。
二人の視点:比較表
| 特徴 | ルノワール(本物) | ヴェルソ(描かれた存在 – 最終的な立場) |
|---|---|---|
| 主な動機 | 自己破壊的な悲しみとキャンバスへの逃避からアリーンを救うこと | 全ての者の苦しみの連鎖を断ち切り、本物のヴェルソの魂を解放し、家族の真の癒やしを可能にすること |
| キャンバスに対する見方 | アリーンにとって不健康な牢獄。現実世界での癒やしを妨げる幻想 | 苦痛を永続させる人工的な世界。本物のヴェルソの魂のかけらの檻 |
| 選んだ手段 | アリーンを現実に引き戻すためにキャンバスを破壊すること | それに結びついた全ての魂を解放し、その人工的な存在を終わらせるためにキャンバスを破壊すること |
| 「家族を守る」ことの定義 | キャンバスの有害な影響からアリーンを保護し、現実への帰還を強いること | キャンバスの終わりのない苦痛から家族(アリーン、アリシア、本物のヴェルソの魂)を解放すること |
| 「救い」への道 | アリーンが現実と向き合い、適切に悲しみ、前に進むこと | 家族全員が、人工的な世界とその痛みから解放され、現実の中で平和を見つけること |
| 個人的な利害 | 妻と再会し、現実世界の家族生活を取り戻したいという切望 | 自分の苦痛に満ちた人工的な存在を終わらせ、自分の「オリジナル」に平和をもたらしたいという願い |
クライマックスの解体:対話、選択、そしてエンディングが示すもの
物語の終盤、ヴェルソとルノワールの対立は、プレイヤーの選択を通してクライマックスを迎えます。 ここでの対話や選択肢、そしてその結果として分かれるエンディングは、彼らの哲学の衝突を鮮明に描き出します。
対立の決定的瞬間
マエル(アリシア)がルノワールにキャンバスを残してほしいと頼むも、彼は「断固としてキャンバスを容赦しない」と拒絶します。
このルノワールの強硬な姿勢が、家族内の対立を決定的なものにします。
その後、ヴェルソはキャンバスの中心部へと向かい、本物のヴェルソの魂に絵を描くのをやめるよう促します。
それを止めようと現れるのがマエルであり、ここからヴェルソとマエルの直接的な対立が始まります。
プレイヤーに委ねられる最終選択
プレイヤーに委ねられる最終選択は、マエルと共にキャンバスを存続させるか、ヴェルソと共にキャンバスを破壊するかという、まさに物語全体のテーマを凝縮したジレンマです。
マエルの選択(存続):たとえ人工的でも、繋がりや記憶、そしてキャンバス内の「生命」を保持したいという願いを表しています。 でもこれは、アリーンの現実逃避を繰り返す可能性も示唆しています。
ヴェルソの選択(破壊):「本物の」癒やしのための喪失の受け入れ、本物のヴェルソの魂の解放、そして苦しみのサイクルの終焉を意味しますが、それは描かれた知的な存在たちの消滅という大きな代償を伴います。
エンディングの意味するもの
それぞれのエンディングは、ヴェルソとルノワールの哲学の帰結を象徴的に示します。
ヴェルソのエンディング:キャンバスを破壊した場合、彼のビジョン(そして間接的には、アリーンをキャンバスから解放するというルノワールの当初の目標)は達成されますが、その代償は計り知れません。 家族がヴェルソの墓の前で静かに佇む姿は、現実世界での悲しみへの一歩を示唆しているようです。
マエルのエンディング:キャンバスを存続させた場合、彼女はルノワールの破壊への願いとヴェルソの解放への願いの両方に背くことになります。 このエンディングはしばしば暗い影を落とし、マエルがアリーンのように現実逃避に陥り、ヴェルソが「人形」のように操られる可能性が示唆され、不健全な執着のサイクルが続くことを暗示します。
皮肉なことに、ヴェルソがキャンバスを破壊するという結末は、ルノワールがアリーンに対して抱いていた当初の現実的な目標(彼女をキャンバスから強制的に引き離し、現実に直面させること)と結果的に一致します。
結びつき、そして引き裂くテーマ:破壊、創造、そして守ることの意味
『Clair Obscur: Expedition 33』は、ヴェルソとルノワールの対立を通じて、いくつかの深いテーマを探求しています。 これらのテーマは複雑に絡み合い、彼らの行動原理と物語全体の意味を形作っています。
破壊と救いの逆説
本作では、破壊と創造の両方が、救いへの潜在的な道として描かれています。
ルノワール:キャンバス(創造物)の破壊はアリーンの救いに繋がると信じる
ヴェルソ:苦痛に満ちた創造物であるキャンバスの破壊こそが、囚われた全ての魂を救い、苦しみを終わらせる道
アリーン:キャンバス内での創造行為が、当初は悲しみからの不完全な救いの試み
このように、伝統的な「善なる創造」と「悪しき破壊」という概念は覆され、アリーンの創造行為が停滞と苦しみの源泉となり、ルノワールとヴェルソの破壊行為が、痛みを伴うものの解放と癒やしへの道として描かれています。
創作と現実の境界線
デサンドル家の「現実」世界と、キャンバスという「創作」された世界の境界線は曖昧に描かれています。
キャンバスの住人たちが持つ「知性」や感情は、それが単なる「幻想」であるという考えに疑問を投げかけ、キャンバスを破壊するという決断を倫理的に複雑なものにしています。
このゲームは、私たちが創造された現実にどのような価値を置き、生きた経験とどう比較するのかを問いかけているようです。
守るとは何か – 行為主体性との関係
最も中心的なテーマが、「守るとは何か」です。 これはヴェルソとルノワールの対立の根底にある問いであり、各キャラクターが提示する「守る」ことの解釈は違います。
アリーンの最初の衝動:幻想でも目先の痛みから守ること
ルノワール:厳しい現実との対峙を強いることで、長期的な自己破壊から守ること
ヴェルソ:源泉を断つことで苦しみの連鎖から守ること、たとえそれが消滅を意味しても
マエル:たとえ欠陥があっても、自分の現実を選択する権利を守ること
「守るとは何か」というテーマは、行為主体性(エージェンシー)の概念と深く結びついています。
ルノワール:アリーンを守ろうとする試みは、彼女の行為の主体性を無視する形で行われる
ヴェルソ:キャンバスを破壊するという選択は、存在し続けたいと願うかもしれないキャンバスの住人たちの主体性を無視する
マエル:キャンバスを存続させる選択は、住人たちに主体性を与える一方で、ヴェルソの主体性を侵害する可能性がある(彼を「人形」にするなど)
この対立は、他者を無力化する可能性のある保護的行動の倫理的な綱渡りを浮き彫りにしているんです。
(英語圏)海外コミュニティからの反響:家族の断絶に対するプレイヤーの声
ヴェルソとルノワールの対立、そしてゲームのエンディングは、プレイヤーコミュニティの間で活発な議論と多様な感情的反応を引き起こしました。
多様な意見と共感のスペクトル
両キャラクターへの共感、どちらが「正しかった」のかという議論、選択の感情的な重み、そして選んだエンディングによって感じる虚無感や満足感など、その声は多岐にわたります。
例えば、以下のような意見が見られます:
「ヴェルソのエンディングこそが製作者が意図したものであり、マエルのエンディングは皆が生きてはいるが虚ろだ」
「ヴェルソのエンディングはあまりにも肯定的すぎる。家族の精神的な安定のために世界を破壊し、その住人たちが喜んで別れを告げるなど都合が良すぎる」
「父と子」の原型的対立
この型破りな形ではあるものの、「父と子」の力学は、私たちの心の奥底にある感情的な原型に触れます。
海外プレイヤーコミュニティにおける情熱的でしばしば矛盾する反応は、このゲームが道徳的に曖昧な対立を創り出すことに成功したことを示しています。
プレイヤーが感じる「モヤモヤ」は、物語の失敗の兆候じゃなくて、複雑な倫理的問題への深いエンゲージメントの証なんです。
現実性の多層性
プレイヤーの議論はしばしば、キャンバスの住人たちの「現実性」と、デサンドル家のトラウマの「現実性」との間で揺れ動きます。
このプレイヤー認識におけるメタレベルの対立は、キャンバス世界の価値を巡るゲーム内の対立を反映しています。
この記事が目指すのは、「正しい」解釈をすることじゃなくて、複雑に絡み合った動機を照らし出すことで、プレイヤーそれぞれの思索の一助となることです。
結論:心の傷跡に意味を見出す – 『Expedition 33』へのより深い理解に向けて
ヴェルソとルノワールの対立の根源を辿ってきましたが、最終的に「なぜ」彼らは衝突したのか、その核心を改めて整理しましょう。
対立の真の原因
それは、家族を愛し守りたいという共通の願いを持ちながらも、「家族の幸福」「苦しみ」「現実」「救い」といった概念に対する理解が根本的に違っていたためです。
そして、アリーンとキャンバスに対する彼らそれぞれの個人的な経緯と関係性が、この和解不可能な視点の違いを形作ったんです。
彼らの行動は、どれほど破壊的で対立的でも、深く、でも違う形で表現された愛と、そうせざるを得ないという認識から生じていました。
この物語の悲劇は、悪意によるものじゃなくて、善意に基づいたそれぞれの道が両立不可能だった点にあります。
完璧な解決策の不在
究極的には、深刻なトラウマと悲しみの状況においては「完璧な」解決策はなく、異なる種類の代償と結果を伴う選択肢しか存在しないのかもしれません。
ヴェルソとルノワールの対立は、この困難な真実を体現しています。
どちらのエンディングも完全な「勝利」とは感じられず、両方に大きな喪失と道徳的妥協が伴います。 これは、根深い家族のトラウマに対処する際の、混乱した現実を反映していると言えるでしょう。
新たな視点の獲得
この記事を通じて、彼らの深層心理と哲学的な相違点を理解することが、クリア後に残る「モヤモヤ」を解消し、作品への新たな視点をもたらす一助となれば幸いです。
『クレア・オブスキュア:エクスペディション33』は、愛の名の下に行われる痛みを伴う選択と、それによって引き裂かれる人々の姿を、勇気を持って描き切った作品と言えるでしょう
簡潔に簡単に言うと、なんで仲が悪いの!?
結局私が伝えたかった結論を、簡潔・明瞭にお伝えすると、
「ルノワールは『アリーン個人を、キャンバスという幻想から救う』ことを目指し、そのためにキャンバスの破壊を望みました。 一方、ヴェルソ(描かれた存在)は『キャンバスに関わる全て(アリーン、本物のヴェルソの魂、そして自分自身)を、キャンバスという苦しみの連鎖から解放する』ことを目指し、そのためにキャンバスの破壊を望んだんです。」
このように、「誰を救うのか」そして「何が本当の救いなのか」という根本的な部分での認識の違いが、同じ「家族を想う」という目的を持ちながらも、父と息子を対立させる原因となったんです。
おわりに:普遍的な心理ドラマとしての『エクスペディション33』
このゲームは、「描かれた世界」というファンタジーの設定を使って、とても人間的で普遍的な心理ドラマを探求しています:
✅ 喪失にどう対処するか
✅ 耐えられない痛みに直面した時に現実をどう定義するか
✅ 愛する人々を守るために人々が取る、時に絶望的で間違った方法
キャンバスを巡る対立は、これらの内的・対人的葛藤を壮大なスケールでドラマ化するための物語の装置なんです。
その普遍的な人間の経験への繋がりこそが、この物語がその幻想的な前提にもかかわらず、私たちの心に深く響く理由なんでしょう。
あなたは『クレア・オブスキュア:エクスペディション33』をプレイした時、どちらの選択をしましたか?
そして、その選択にはどんな思いが込められていたんでしょうか?
この複雑な物語を通して、あなた自身の「守る」「救う」という概念についても、ぜひ考えてみてください。
この記事があなたの『クレア・オブスキュア:エクスペディション33』の体験をより深く、豊かなものにする一助となれば幸いです。 ヴェルソとルノワールという、愛ゆえに対立せざるを得なかった二人の物語は、私たちに家族、愛、そして時に必要となる痛みを伴う断絶について、多くのことを教えてくれます。
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ラストの『あの選択』に込められた意味とは?心を揺さぶるこのゲームの、あなたに伝えたかったメッセージとは?考察しましたので併せて読んでみてください


コメント
やはり言語化すごいですね。
結局ヴェルソ出会った当初から最後まで大うそつきだったわけで、ヴェルソエンドの最後のシーンは、ルネが不貞腐れる顔で座り込んで睨んでるのがとても印象に残りました。おまえ最後まで嘘ついてたんか。。。みたいな。
解説を読んで、なぜヴェルソは、マエルと組んで最後まで冒険する必要があったのか。
ルノワール:家族はだれも殺したくない(キャンバスから開放できてない)
ヴェルソ:家族は自らの手で殺す(キャンバスから無理やり開放)
という考え方で理解しました。
コメントありがとうございます!
ヴェルソの「大うそつき」な一面、そしてルネの不貞腐れた表情…
あのラストシーンは本当に印象的でしたよね。
ルネのあの表情には、彼女の複雑な感情が凝縮されているように感じました。
また、ルノワールとヴェルソの対比についてのご指摘、非常に興味深いです。
ルノワールが「家族を殺したくない」と願いながらもキャンバスから解放できなかったのに対し、
ヴェルソは「家族を自らの手で殺す」ことで、強引にでもキャンバスから解放しようとした。
この対比は、彼らの信念や愛の形の違いを象徴しているように思います。
私自身、ヴェルソがマエルと組んで最後まで冒険を続けた理由について、
彼の中にある「救済」への強い執念や、
ルネとの関係性の中で芽生えた感情が影響しているのではないかと感じています。
貴重なご意見、本当にありがとうございました!
今後とも、よろしくお願いいたします。
クリアしてからというもの、ずっと頭の中でこの物語の終わりにより良い選択肢は無かったのか考えて、ネットの海を彷徨っているところにこちらの考察をお見掛けしました。
ルノワールとヴェルソ、向かう方向は同じでしたがルノワールは自分の選択を信じ続けたのに対して、ヴェルソは最後の最後まで迷ってましたね。
彼は真実を知る一方で自分と同じ描かれた人々(過去の遠征隊員たち)との多くの出会いと別れを経験していて、この世界の人々に生きる価値があり、救いたいと考えている時期もありました。
それでもキャンバスの破壊を選んだのは母への愛だったのだと思います。自分は作られた偽物出会っても愛する母を苦しみから解放してあげたい、ルノワールとの決戦後に見た母の姿を見て、心が決まったんだと思います。
また、ヴェルソとは違って描かれたルノワールとアリシアはアリーンと一緒にいることを選択していました。ジャーナルによると描かれたルノワールはヴェルソと同じく過去の遠征隊と協力している様子があったと思うので、最初はヴェルソと同じくアリーンの解放を目的にしていたが、途中で考えを改めてアリーンが限界を迎えるその時まで家族として側にいることを選んだんじゃないかと考えてます。
コメントありがとうございます!
クリア後のあの余韻、すごくよく分かります。
ヴェルソの迷いや、母を想うがゆえの決断、そして描かれたルノワールやアリシアの選択…どれも胸に迫るものがありますよね 。
彼らの行動や想いを深く読み解こうとされており、本当に素晴らしいと思います。
この物語は色々な解釈ができるからこそ、心に残るのかもしれませんね